闘龍灘
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青垣いきものふれあいの里では、淡水魚展を開催中です。
8月31日(火)まで、午前9時~午後5時
休館日は月曜日(祝日の場合は翌日)です。
http://edu.city.tamba.hyogo.jp/ikimono/
北近畿豊岡自動車道「青垣」ICから5分です。
問い合わせ 0795-88-0888 までお願いします。
ひょうごヒューマンフェスティバル2010inあわじ 開催のお知らせです。
http://web.pref.hyogo.jp/hw05/hw05_000000026.html
8月7日(土)午前10時30分~午後3時30分
場所 洲本市文化体育館
(神戸から高速バスにて洲本バスセンター下車 徒歩5分)
問い合わせ(財)兵庫県人権啓発協会
http://www.hyogo-jinken.or.jp/
078-382-3471 までお願いします。
女子中高生のための関西科学塾2011開催のお知らせです。
http://kagaku-juku2011.jp/
9月25日、10月30日、11月6日・27日 各土曜日
2011年 3月20日(日)~21日(月・祝)
締め切りは、8月13日(金)までです。
問い合わせ 神戸大学男女共同参画推進室
http://www.office.kobe-u.ac.jp/opge-kyodo-sankaku/
078-803-5471 までお願いします。
写真は、加東市上滝野にある闘龍灘。JR加古川線滝野駅から徒歩15分です。

滝野駅から北東に1kmほどいくと加古川に至ります。
奇岩・怪石が起伏する川床は漢詩人梁川星巌によって闘龍灘と名づけられ、
加古川中流の景勝地として文人墨客の来訪が絶えませんでした。

また、独特な鮎漁が行われています。

滝水を樋で岩場へ引き、アユの特性を利用して岩穴へ飛ばせる飛簗漁と
遡上するアユを玉さでで汲む汲鮎漁です。
毎年5月1日に日本一早く鮎漁が解禁されるのも、闘龍灘の風物詩になっています。

じっと観察していると、仕掛けにかかった鮎は、ぴょんぴょんと跳ねながら
穴の中へ自ら飛び込んでおりました。。゚(ノД`)゚。

鮎には生まれたくないと思った瞬間です。

かつての加古川は、高瀬舟を利用した舟運が発展していました。舟運には浅瀬の開削が必要で、
2期にわたって行われました。第1期は、1594年(文禄3年)に生駒玄蕃の命で行われた
滝野から高砂に至る川底の浚普請(さらえぶしん)です。通船をさまたげる岩石を除去し、
浅瀬に水路を掘り、東播磨の諸物資を高瀬舟で河口の高砂港に送り、
海路で大坂まで運ぶことが可能になりました。
これを請け負った阿江与助には、滝野船座の座本として五分一銀徴収の特権が与えられました。

第2期は、1604年(慶長9年)に姫路藩主池田輝政によって行われました。
滝野から上流の開削で、阿江与助と西村伝入斎が請け負いました。
こうして1606年には氷上町本郷から高砂までの約50kmが貫通、
加古川の舟運はおおいに発展しました。
1873年(明治6年)、生野銀山の技師ムーセの指導で、闘龍灘の東岸に堀割水路がつくられました。
これまで、上流からの筏は闘龍灘でいったん解体して滝をこし、滝の下で組み直していましたが、
この堀割の完成で筏を直に高砂まで運べるようになりました。
明治時代に入り、田高船座・滝野船座の廃止とともに、加古川舟運は自由競争時代へと突入し、
ますます舟運は発展しました。しかし、1913年(大正2年)に高砂と西脇間に播州鉄道が開通して、
その役割を終えました。
(兵庫県の歴史散歩 下 山川出版社より)

闘龍灘は、加古川の川面に幅約120m、長さ約250mの範囲にわたって岩石が露出し、
流れが滝のような急流になっており、河床に多くの甌穴(*ポットホール)群れが見られます。

この場所の岩石は、一部に**生野層群下部累層の流紋岩質凝灰岩が見られますが、
大部分はそれを貫くデイサイト(石英安山岩)の岩脈からなり、そのデイサイトは暗灰色、
緻密な岩石で硬く、河食に強いです。
また、闘龍灘中央の南部に北西━南東方向で北東側上がりの衝上断層があり、
これらが闘龍灘を生じた要因になっていると考えられています。
なお、これよりも小規模ですが、類似した河中の岩場は、
少し上流の加古川(西脇市和布町、大垣内など)や支流の千鳥川(社町藤田)にも認められます。(中島和一)
(レッドデータ ひょうごの地形・地質・自然景観 神戸新聞総合出版センターより)

*ポットホール
川床の岩石に割れ目などがあると、その弱い部分が河食により速く削られてくぼみができる。
このくぼみに小石などが入り込んで、渦流のために小石がくぼみの中を転がってかめ形の穴を生じたもの。
**生野層群は、生野町を中心として兵庫県の中央背梁山地(播但山地)に東西に分布する
白亜紀後期の火山砕屑岩類で、有馬層群や相生層群とほとんど同質であり、
本地域のものは有馬層群と呼ばれる場合もある。
加古川舟運や民族に関する資料の保存・展示は、
加古川流域滝野歴史民族資料館(下滝野)で行われています。
8月31日(火)まで、午前9時~午後5時
休館日は月曜日(祝日の場合は翌日)です。
http://edu.city.tamba.hyogo.jp/ikimono/
北近畿豊岡自動車道「青垣」ICから5分です。
問い合わせ 0795-88-0888 までお願いします。
ひょうごヒューマンフェスティバル2010inあわじ 開催のお知らせです。
http://web.pref.hyogo.jp/hw05/hw05_000000026.html
8月7日(土)午前10時30分~午後3時30分
場所 洲本市文化体育館
(神戸から高速バスにて洲本バスセンター下車 徒歩5分)
問い合わせ(財)兵庫県人権啓発協会
http://www.hyogo-jinken.or.jp/
078-382-3471 までお願いします。
女子中高生のための関西科学塾2011開催のお知らせです。
http://kagaku-juku2011.jp/
9月25日、10月30日、11月6日・27日 各土曜日
2011年 3月20日(日)~21日(月・祝)
締め切りは、8月13日(金)までです。
問い合わせ 神戸大学男女共同参画推進室
http://www.office.kobe-u.ac.jp/opge-kyodo-sankaku/
078-803-5471 までお願いします。
写真は、加東市上滝野にある闘龍灘。JR加古川線滝野駅から徒歩15分です。

滝野駅から北東に1kmほどいくと加古川に至ります。
奇岩・怪石が起伏する川床は漢詩人梁川星巌によって闘龍灘と名づけられ、
加古川中流の景勝地として文人墨客の来訪が絶えませんでした。

また、独特な鮎漁が行われています。

滝水を樋で岩場へ引き、アユの特性を利用して岩穴へ飛ばせる飛簗漁と
遡上するアユを玉さでで汲む汲鮎漁です。
毎年5月1日に日本一早く鮎漁が解禁されるのも、闘龍灘の風物詩になっています。

じっと観察していると、仕掛けにかかった鮎は、ぴょんぴょんと跳ねながら
穴の中へ自ら飛び込んでおりました。。゚(ノД`)゚。

鮎には生まれたくないと思った瞬間です。

かつての加古川は、高瀬舟を利用した舟運が発展していました。舟運には浅瀬の開削が必要で、
2期にわたって行われました。第1期は、1594年(文禄3年)に生駒玄蕃の命で行われた
滝野から高砂に至る川底の浚普請(さらえぶしん)です。通船をさまたげる岩石を除去し、
浅瀬に水路を掘り、東播磨の諸物資を高瀬舟で河口の高砂港に送り、
海路で大坂まで運ぶことが可能になりました。
これを請け負った阿江与助には、滝野船座の座本として五分一銀徴収の特権が与えられました。

第2期は、1604年(慶長9年)に姫路藩主池田輝政によって行われました。
滝野から上流の開削で、阿江与助と西村伝入斎が請け負いました。
こうして1606年には氷上町本郷から高砂までの約50kmが貫通、
加古川の舟運はおおいに発展しました。
1873年(明治6年)、生野銀山の技師ムーセの指導で、闘龍灘の東岸に堀割水路がつくられました。
これまで、上流からの筏は闘龍灘でいったん解体して滝をこし、滝の下で組み直していましたが、
この堀割の完成で筏を直に高砂まで運べるようになりました。
明治時代に入り、田高船座・滝野船座の廃止とともに、加古川舟運は自由競争時代へと突入し、
ますます舟運は発展しました。しかし、1913年(大正2年)に高砂と西脇間に播州鉄道が開通して、
その役割を終えました。
(兵庫県の歴史散歩 下 山川出版社より)

闘龍灘は、加古川の川面に幅約120m、長さ約250mの範囲にわたって岩石が露出し、
流れが滝のような急流になっており、河床に多くの甌穴(*ポットホール)群れが見られます。

この場所の岩石は、一部に**生野層群下部累層の流紋岩質凝灰岩が見られますが、
大部分はそれを貫くデイサイト(石英安山岩)の岩脈からなり、そのデイサイトは暗灰色、
緻密な岩石で硬く、河食に強いです。
また、闘龍灘中央の南部に北西━南東方向で北東側上がりの衝上断層があり、
これらが闘龍灘を生じた要因になっていると考えられています。
なお、これよりも小規模ですが、類似した河中の岩場は、
少し上流の加古川(西脇市和布町、大垣内など)や支流の千鳥川(社町藤田)にも認められます。(中島和一)
(レッドデータ ひょうごの地形・地質・自然景観 神戸新聞総合出版センターより)

*ポットホール
川床の岩石に割れ目などがあると、その弱い部分が河食により速く削られてくぼみができる。
このくぼみに小石などが入り込んで、渦流のために小石がくぼみの中を転がってかめ形の穴を生じたもの。
**生野層群は、生野町を中心として兵庫県の中央背梁山地(播但山地)に東西に分布する
白亜紀後期の火山砕屑岩類で、有馬層群や相生層群とほとんど同質であり、
本地域のものは有馬層群と呼ばれる場合もある。
加古川舟運や民族に関する資料の保存・展示は、
加古川流域滝野歴史民族資料館(下滝野)で行われています。
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