仰げば尊し
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こんばんは。
今日は神戸ハーバーランドで開催された講演会を
聞きに行ってきました。


8月3日、神戸総合運動公園で、ラジオ体操の
大きなイベントが開催されることが決定しているようです。
同じ時間に、全国合わせて1千万人がラジオ体操しよう!
という内容だったと記憶しています。
本の紹介です。
「仰げば尊し」は辛い歌だ
卒業式の日に「仰げば尊し」を歌わせない学校があった。
その学校は、小学校・中学校・
高等学校・短期大学を含むところの、
一貫した教育が行われる学校である。
なぜ卒業生に「仰げば尊し」という
卒業式の歌を歌わせないかというと、
教師にとってあれくらい辛い歌はないからだと校長が言った。
また、卒業式は、生徒よりも教師にとって、
より一層辛い日であるという。
なぜならば、それは、教師が、
未完成な作品を上級の学校へ、
あるいは社会へと送り出す日だからである。
教師としてはああもしたかった、
こうもしたかったという、
その三割か四割かのことしか
してやれなかった作品(卒業生)を
見ているだけで辛く悲しい。
後悔と慙愧で胸が一杯になっている。
そこへ「仰げば尊し、わが師の恩……」
と歌われるのではたまったものではない。
なるほど、そう言われてみると、
校長の気持ちがわかるような気がする。
というより、私は、その話を聞いたとき感動した。

ちょうどその日は卒業式のあった日で、
夜になって、校長と二人の教師と私とで、酒を飲んだ。
校長は、毎年、卒業式の夜には大酒を飲むという。
まあ、そうでなくても酒を召しあがる方ではあるが。
別の日に、その校長は、こんなことを言った。
校庭に一人だけ、ポツンと生徒が立っている。
たとえば土曜日の暮れ方であったとする。
その生徒は、そうやって、
英語の単語でも暗記しようとしているのかもしれない。
校長は、そういう姿を見るとたまらなくなる。
その生徒は、家庭的に恵まれない子どもである。
あるいは体の丈夫でない子どもである。
あるいは自分の志望する学校に進学できなくて、
浪人中であって、母校にふらふらと
入ってきてしまった生徒である。
校長は、そういうとき、仕事を放りだして
校庭へ駈けてゆくという。
そうして「おい!」と声をかける。
「おい、××君! どうしている?」。
肩をたたくこともある。
「おい××君、勉強しているかい?」
どうしてもそうせずにはいられないそうだ。
そうして、教育とは、教育の役目とは、
そのことに尽きるのではないかと言う。
教育とは生徒に声をかけてやることではないか。
校長は、むしろ絶望的な調子で、
それ以上のことはできないと言った。
私はこのふたつの話に感動した。
それで、この話をモトにして長い小説を書いた。
参考文献:礼儀作法入門 山口瞳 著 集英社文庫
P.140 18・卒業式・入学式

礼儀作法入門 (新潮文庫)
※私の手もとにあるのは集英社の文庫本です。
各々アマゾン等でお調べください。
良い話です。古きよき時代かもしれませんが、
校長先生はこうでなくちゃ!と思いました。

明日も神戸駅は花と人々の笑顔に包まれるでしょう。
今日は神戸ハーバーランドで開催された講演会を
聞きに行ってきました。


8月3日、神戸総合運動公園で、ラジオ体操の
大きなイベントが開催されることが決定しているようです。
同じ時間に、全国合わせて1千万人がラジオ体操しよう!
という内容だったと記憶しています。
本の紹介です。
「仰げば尊し」は辛い歌だ
卒業式の日に「仰げば尊し」を歌わせない学校があった。
その学校は、小学校・中学校・
高等学校・短期大学を含むところの、
一貫した教育が行われる学校である。
なぜ卒業生に「仰げば尊し」という
卒業式の歌を歌わせないかというと、
教師にとってあれくらい辛い歌はないからだと校長が言った。
また、卒業式は、生徒よりも教師にとって、
より一層辛い日であるという。
なぜならば、それは、教師が、
未完成な作品を上級の学校へ、
あるいは社会へと送り出す日だからである。
教師としてはああもしたかった、
こうもしたかったという、
その三割か四割かのことしか
してやれなかった作品(卒業生)を
見ているだけで辛く悲しい。
後悔と慙愧で胸が一杯になっている。
そこへ「仰げば尊し、わが師の恩……」
と歌われるのではたまったものではない。
なるほど、そう言われてみると、
校長の気持ちがわかるような気がする。
というより、私は、その話を聞いたとき感動した。

ちょうどその日は卒業式のあった日で、
夜になって、校長と二人の教師と私とで、酒を飲んだ。
校長は、毎年、卒業式の夜には大酒を飲むという。
まあ、そうでなくても酒を召しあがる方ではあるが。
別の日に、その校長は、こんなことを言った。
校庭に一人だけ、ポツンと生徒が立っている。
たとえば土曜日の暮れ方であったとする。
その生徒は、そうやって、
英語の単語でも暗記しようとしているのかもしれない。
校長は、そういう姿を見るとたまらなくなる。
その生徒は、家庭的に恵まれない子どもである。
あるいは体の丈夫でない子どもである。
あるいは自分の志望する学校に進学できなくて、
浪人中であって、母校にふらふらと
入ってきてしまった生徒である。
校長は、そういうとき、仕事を放りだして
校庭へ駈けてゆくという。
そうして「おい!」と声をかける。
「おい、××君! どうしている?」。
肩をたたくこともある。
「おい××君、勉強しているかい?」
どうしてもそうせずにはいられないそうだ。
そうして、教育とは、教育の役目とは、
そのことに尽きるのではないかと言う。
教育とは生徒に声をかけてやることではないか。
校長は、むしろ絶望的な調子で、
それ以上のことはできないと言った。
私はこのふたつの話に感動した。
それで、この話をモトにして長い小説を書いた。
参考文献:礼儀作法入門 山口瞳 著 集英社文庫
P.140 18・卒業式・入学式

礼儀作法入門 (新潮文庫)
※私の手もとにあるのは集英社の文庫本です。
各々アマゾン等でお調べください。
良い話です。古きよき時代かもしれませんが、
校長先生はこうでなくちゃ!と思いました。

明日も神戸駅は花と人々の笑顔に包まれるでしょう。
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