山の日に思うこと。
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8月8日は山の日でした。昔はなかった祝日です。
2016年から8月11日が山の日になったんですね。
断捨離と称して部屋の整理を続けています。
先日、このようなものが出てきました。
富士山の登山の際の焼印です。

私は学生時代に富士山の山小屋でアルバイトをしたことがあります。
ある年の夏、7月半ばから8月のお盆まで、八合目に滞在していました。
富士宮口の八合目の山小屋です。
朝は結構冷えます。5度前後まで気温は下がったと思います。
昼間は、15度を越えることもありました。
毎日朝の5時半から、夜の22時前まで、働いていました。
富士山で見た、さそり座は今でも忘れることができません。

台風が近づいてくるときは大変でした。
予約を入れているお客さんもそうでない人も、避難させなければならないからです。
普段、食堂として使っている広間に、布団を敷いて誘導をしたり、てんてこ舞いでした。
200人の登山客を小屋の中に入れて、風雨の中、耐えたことがあります。

台風が去ってしまえば、良い天気が続くのが常でした。
たまに下から吹きあがってくる雲(ガス)にもまれて、びっしょりぬれたりもしましたが。
そんな日々を送っていると、横浜からお見えになったあるおじさまがいました。
私が山小屋の周りをゴミ拾い、掃除していたときに、挨拶をしてくださいました。

ひと夏に何度も富士山を登っていること、色々な方のガイドを務めていらっしゃること、
金名水、銀名水のお話、富士山の登山口の種類、歴史についてなど
私には知らないことばかり、うれしかったことを覚えています。
手をとめるな!客と話をするな!と、山小屋の主人に怒られましたが、
そのおじさまは、私の横で、にこにことすてきな笑顔でした。
頑張りなさいね!と励ましてくれました。
※ 山小屋のご主人の池田さんにもお世話になりました。
当時、無線電話を使い私の家族と連絡を取ってくれたり、
毎食の食事に気を遣っていただいたり、山に上がった当日、
高山病のことを心配して、休養日を設けて下さったり、色々なことが思いだされます。
貴重な体験をさせていただいて、今も感謝の気持ちが湧いてきます。

富士山の頂上から、絵葉書を送ってあげる、とおっしゃいます。
私は自分の名前と住所を伝えて、山小屋のアルバイトの日々に戻っていました。
その年、山から下りて、甲府に帰ってみると、
富士山の消印の押した、残暑お見舞いの葉書が届いていました。
ああ、本当に送って下さったのだわ、と思い、返事を書き、
しばらく手紙のやりとりをしていたのですが、その中で送って下さったのが
今日、紹介している焼印と富士吉田登山口全図と、写真です。

クリックすると読めるくらいに大きく拡大されます。
いつしか連絡も取れなくなり、その後どうされたのだろうと思っていました。
大切に保管していた焼印なので、興味のある方はいらっしゃるかなと思い
記事にしました。

冬山で鳥居が埋まっています。

富士山測候所でしょうか。

真ん中に座っているのが、吉沼晃さんです。
私がお世話になった親切なおじさまです。
お若い皇太子さまが隣りに有らせられます。
当時は驚きの気持でいっぱいでしたが、今改めて振り返ると、
山のガイドをされる方の中で、地位のある方だったのではと思います。
きつい毎日の中、あのときは、ありがとうございました。
2016年から8月11日が山の日になったんですね。
断捨離と称して部屋の整理を続けています。
先日、このようなものが出てきました。
富士山の登山の際の焼印です。

私は学生時代に富士山の山小屋でアルバイトをしたことがあります。
ある年の夏、7月半ばから8月のお盆まで、八合目に滞在していました。
富士宮口の八合目の山小屋です。
朝は結構冷えます。5度前後まで気温は下がったと思います。
昼間は、15度を越えることもありました。
毎日朝の5時半から、夜の22時前まで、働いていました。
富士山で見た、さそり座は今でも忘れることができません。

台風が近づいてくるときは大変でした。
予約を入れているお客さんもそうでない人も、避難させなければならないからです。
普段、食堂として使っている広間に、布団を敷いて誘導をしたり、てんてこ舞いでした。
200人の登山客を小屋の中に入れて、風雨の中、耐えたことがあります。

台風が去ってしまえば、良い天気が続くのが常でした。
たまに下から吹きあがってくる雲(ガス)にもまれて、びっしょりぬれたりもしましたが。
そんな日々を送っていると、横浜からお見えになったあるおじさまがいました。
私が山小屋の周りをゴミ拾い、掃除していたときに、挨拶をしてくださいました。

ひと夏に何度も富士山を登っていること、色々な方のガイドを務めていらっしゃること、
金名水、銀名水のお話、富士山の登山口の種類、歴史についてなど
私には知らないことばかり、うれしかったことを覚えています。
手をとめるな!客と話をするな!と、山小屋の主人に怒られましたが、
そのおじさまは、私の横で、にこにことすてきな笑顔でした。
頑張りなさいね!と励ましてくれました。
※ 山小屋のご主人の池田さんにもお世話になりました。
当時、無線電話を使い私の家族と連絡を取ってくれたり、
毎食の食事に気を遣っていただいたり、山に上がった当日、
高山病のことを心配して、休養日を設けて下さったり、色々なことが思いだされます。
貴重な体験をさせていただいて、今も感謝の気持ちが湧いてきます。

富士山の頂上から、絵葉書を送ってあげる、とおっしゃいます。
私は自分の名前と住所を伝えて、山小屋のアルバイトの日々に戻っていました。
その年、山から下りて、甲府に帰ってみると、
富士山の消印の押した、残暑お見舞いの葉書が届いていました。
ああ、本当に送って下さったのだわ、と思い、返事を書き、
しばらく手紙のやりとりをしていたのですが、その中で送って下さったのが
今日、紹介している焼印と富士吉田登山口全図と、写真です。

クリックすると読めるくらいに大きく拡大されます。
いつしか連絡も取れなくなり、その後どうされたのだろうと思っていました。
大切に保管していた焼印なので、興味のある方はいらっしゃるかなと思い
記事にしました。

冬山で鳥居が埋まっています。

富士山測候所でしょうか。

真ん中に座っているのが、吉沼晃さんです。
私がお世話になった親切なおじさまです。
お若い皇太子さまが隣りに有らせられます。
当時は驚きの気持でいっぱいでしたが、今改めて振り返ると、
山のガイドをされる方の中で、地位のある方だったのではと思います。
きつい毎日の中、あのときは、ありがとうございました。
[Tag] * 焼印
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コメントありがとうございました。
昔の地図ですが詳しく載っています。
コロナ禍が収まれば、山に行きたいですね。
県外へ行く予定で、色々計画をしていたのですが、今年は難しそうです。
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