静岡県人の県民性について
▼
静岡県人●日本の「真ん中」に住む人たちは品の良し悪しも標準的 …
●ミーハーだけど、生き方はおおらか
日本一の富士の山をいただく静岡県は、風光明媚で気候は温暖、お茶やみかんの産地として知られる。駿河湾の海の幸にも恵まれ、地震には悩まされるものの、冷害や大雪ともほとんど縁がない。その温暖な気候に憧れて、静岡県に別荘を構えたいと願人がますます増えている。首都圏からも近く、熱海、伊東、伊豆には温泉もあれば、海のれじゃーもグルメも楽しめる。実際、静岡県には全国の約20%もの別荘が集まっており、軽井沢をかかえて、かつて別荘戸数で1位を誇った長野県を抜き去り、全国トップに立っている。

そんな静岡に生まれ育った人たちは、開放的でおおらか、素直な人が多いといわれる。ひと言で形容すれば、「のほほん」である。東西の真ん中に位置し、東海道を通じて、中央の情報も適度に入ってくる。そんな地理的条件から、ミーハーな新しいもの好きも少なくない。新商品にすぐ飛びついて、「これ、いいでしょ」と見せびらかしたいのだ。

●「日本人らしい日本人」が多い?!
ただ、静岡県には際立った特徴は少ない。さまざまな各県調査でも、静岡県の欄に並ぶ数値は、たいてい全国の平均値に近い。よくいわれるのは、西日本でも東日本でもなく、ちょうど真ん中にあるため、西側、東側からまんべんなく文化が入ってきて、それを率直に受け入れた。だから、何事につけ中庸(ちゅうよう)、無難になったのだという。
つまり、静岡県人 イコール 平均的な日本人なのである。目立ちすぎを嫌い、周囲に合わせて、自己主張は控えめ。長いものには巻かれろ式で、どっちつかずの優柔不断。でしゃばりすぎなのはいいとして、ノーといえない弱さが玉にきず。その「平均的な日本人が住んでいる」という特性を生かして企業のマーケティング調査や、新商品のテスト販売をするさいには、静岡県が選ばれることが多い。

ただ、ひと言に県民性といっても、同じ県内でも差があるのは、どこの県でも一緒のことで、静岡県も例外ではない。昔から静岡県は、駿河(静岡・清水)、遠江(浜松・磐田)、伊豆(熱海・三島)という3つのエリアごとに、人々の気風が異なるといわれてきた。
駿河の人は、のんびりしていて楽天的。金銭感覚は淡泊で大ざっぱ。お金に執着しないお人よしで、値切るのも苦手。だから、食い詰めると、物乞いをするしかないといわれてきた。それに対して、遠江は、せっぱ詰まったら、ドロボーも働きかねないと蔭口を叩かれる。気性が荒く、押しは強く、駿河や伊豆と比べると、金銭感覚はシビア。しかし、すぐれたバイタリティーによって、この地域出身の人が、ホンダやスズキ、ヤマハなど、世界に名を馳せる企業を育んだことは事実だ。この地方には「やらまいか精神」といって、何でも新しいことにチャレンジしようという気風があり、頑張る人はよそ者でも排除しない。もともとベンチャー体質が備わっていたのである。

●あきらめるのが意外に早い …
伊豆地方は、情け深い人が多く、おおらかで、駿河よりもさらにのんびりとしている。せっぱ詰まっても、物乞いしようとすらしないから、「飢え死に」してしまうとまでいわれてきた土地柄だ。その一方で、「伊豆の人間はずる賢いから、詐欺をする」ともいわれる。
いったいどっちなの?と思うかもしれないが、どっちつかずの静岡県人だから、どちらも当てはまるのかもしれない。また近年は、観光地化が進んでいるため、商売っ気のある人が多くなり、昔の評判とは、印象が違ってきているという話もある。
話を静岡全体に戻すと、静岡県人には、男性も女性も、人生をエンジョイしなきゃ損と考えるタイプが多く、楽しい誘いにはめっぽう弱い。「飲みに行くら~」と何かにつけては寄り合いをし、酒を飲んでワイワイ騒ぐのが大好きだ。反面、ひとつのことに粘り強く取り組むのは苦手。恋愛面でも、「ツラい恋に黙って耐え忍ぶ」根性は持ち合わせていないので、イヤだと思ったら相手を見限るのは早いといわれている。

写真は、三木市の園芸のコンテストの作品です。2021年7月4日撮影。
あなたのお国の品性度がわかる本 県民の品格 河出書房新社より
●ミーハーだけど、生き方はおおらか
日本一の富士の山をいただく静岡県は、風光明媚で気候は温暖、お茶やみかんの産地として知られる。駿河湾の海の幸にも恵まれ、地震には悩まされるものの、冷害や大雪ともほとんど縁がない。その温暖な気候に憧れて、静岡県に別荘を構えたいと願人がますます増えている。首都圏からも近く、熱海、伊東、伊豆には温泉もあれば、海のれじゃーもグルメも楽しめる。実際、静岡県には全国の約20%もの別荘が集まっており、軽井沢をかかえて、かつて別荘戸数で1位を誇った長野県を抜き去り、全国トップに立っている。

そんな静岡に生まれ育った人たちは、開放的でおおらか、素直な人が多いといわれる。ひと言で形容すれば、「のほほん」である。東西の真ん中に位置し、東海道を通じて、中央の情報も適度に入ってくる。そんな地理的条件から、ミーハーな新しいもの好きも少なくない。新商品にすぐ飛びついて、「これ、いいでしょ」と見せびらかしたいのだ。

●「日本人らしい日本人」が多い?!
ただ、静岡県には際立った特徴は少ない。さまざまな各県調査でも、静岡県の欄に並ぶ数値は、たいてい全国の平均値に近い。よくいわれるのは、西日本でも東日本でもなく、ちょうど真ん中にあるため、西側、東側からまんべんなく文化が入ってきて、それを率直に受け入れた。だから、何事につけ中庸(ちゅうよう)、無難になったのだという。
つまり、静岡県人 イコール 平均的な日本人なのである。目立ちすぎを嫌い、周囲に合わせて、自己主張は控えめ。長いものには巻かれろ式で、どっちつかずの優柔不断。でしゃばりすぎなのはいいとして、ノーといえない弱さが玉にきず。その「平均的な日本人が住んでいる」という特性を生かして企業のマーケティング調査や、新商品のテスト販売をするさいには、静岡県が選ばれることが多い。

ただ、ひと言に県民性といっても、同じ県内でも差があるのは、どこの県でも一緒のことで、静岡県も例外ではない。昔から静岡県は、駿河(静岡・清水)、遠江(浜松・磐田)、伊豆(熱海・三島)という3つのエリアごとに、人々の気風が異なるといわれてきた。
駿河の人は、のんびりしていて楽天的。金銭感覚は淡泊で大ざっぱ。お金に執着しないお人よしで、値切るのも苦手。だから、食い詰めると、物乞いをするしかないといわれてきた。それに対して、遠江は、せっぱ詰まったら、ドロボーも働きかねないと蔭口を叩かれる。気性が荒く、押しは強く、駿河や伊豆と比べると、金銭感覚はシビア。しかし、すぐれたバイタリティーによって、この地域出身の人が、ホンダやスズキ、ヤマハなど、世界に名を馳せる企業を育んだことは事実だ。この地方には「やらまいか精神」といって、何でも新しいことにチャレンジしようという気風があり、頑張る人はよそ者でも排除しない。もともとベンチャー体質が備わっていたのである。

●あきらめるのが意外に早い …
伊豆地方は、情け深い人が多く、おおらかで、駿河よりもさらにのんびりとしている。せっぱ詰まっても、物乞いしようとすらしないから、「飢え死に」してしまうとまでいわれてきた土地柄だ。その一方で、「伊豆の人間はずる賢いから、詐欺をする」ともいわれる。
いったいどっちなの?と思うかもしれないが、どっちつかずの静岡県人だから、どちらも当てはまるのかもしれない。また近年は、観光地化が進んでいるため、商売っ気のある人が多くなり、昔の評判とは、印象が違ってきているという話もある。
話を静岡全体に戻すと、静岡県人には、男性も女性も、人生をエンジョイしなきゃ損と考えるタイプが多く、楽しい誘いにはめっぽう弱い。「飲みに行くら~」と何かにつけては寄り合いをし、酒を飲んでワイワイ騒ぐのが大好きだ。反面、ひとつのことに粘り強く取り組むのは苦手。恋愛面でも、「ツラい恋に黙って耐え忍ぶ」根性は持ち合わせていないので、イヤだと思ったら相手を見限るのは早いといわれている。

写真は、三木市の園芸のコンテストの作品です。2021年7月4日撮影。
あなたのお国の品性度がわかる本 県民の品格 河出書房新社より
- 関連記事
-
- 大阪府民の府民性について (2021/09/24)
- 山梨県人の県民性について (2021/09/15)
- 静岡県人の県民性について (2021/09/04)
- 長野県人の県民性について (2021/08/24)
- 群馬県人の県民性について (2021/08/07)
Last Modified :

人気ブログランキングへ

FC2ブログランキングへ
コメントありがとうございました。
県民性についてのカテゴリの記事を完結させるべく時々UPしています。
私は学生時代に甲府市に住んでいました。
静岡県との強い結びつきはありません。
私が、一方的に憧れている県のひとつです。
静岡出身の友達はたくさんいました。
温厚で大らかな人が多く、カッカする人はまずいませんでした。
関西人はボケとツッコみの世界で生きていますから、たまに疲れるのです。
富士山の八合目の山小屋でひと夏をすごしたことがあります。
下から立ち上る雲(ガス)を浴び、びしょぬれになったり、ご来光を見て心が洗われる思いを感じたり、時が経っても思い出がたくさんあります。
普段は、穏やかな富士山の天候も、台風前は恐ろしいものに変わることも学びました。
御前崎に向かう途中、サクラエビで有名なおそば屋さんに
連れて行ってもらったこともありました。
県民性についての記事は、当時のみんなは元気にしているかな、
と思いながら、書くことが多いです。
土石流の起きた熱海の人たち、生活支援をちゃんと受けられますように。
私たちも忘れてはならないと思います。
[ 返信 * 編集 ]▲