親ガチャという不平等 3
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運命と和解して生きよう
森岡正博さん 哲学者
1958年生まれ。早稲田大学教授。専門は現代哲学。
著書に「生まれてこないほうが良かったのか?」など。
親ガチャ論の本質は、格差の消えない現実の社会で、どういうふうに自分の運命と「和解」して生きていくか、にあると思います。これは、決して「不平等を甘んじて受け入れろ」という諦観ではありません。たとえば、あなたが大学受験に挑戦し、第1志望の大学に合格できなかったとします。「受験に勝ったか、負けたか」を問われたら、負けたと思うでしょう。「予備校の授業をたくさん受けるだけの教育投資をできるくらい親が裕福だったら……」と悔しがるかもしれません。でも、受験では失敗したとしても、進学先の大学ではさまざまな新しい学びや出会いがあるでしょう。「自分なりに頑張ってきたことが実った。」「誰かと心が通じて幸せだ」と感じる瞬間がきっとあるいはずです。

さて、あなたの人生は本当に「負け」でしょうか?「いや、勝ち負けで測るなんて意味のないことだ」と言い返したくなる部分がきっとあるのではないでしょうか。人生には常に、偶然と必然の両面があります。未来は開かれており、自らの自由意思で未来を作っていける。これが偶然の側面です。一方、現実には思うように未来を切り開けないまま、「これも運命だったのか」と諦めることも多い。必然の側面です。
しかし私たちはこのつらい運命と和解して生きることもできます。どんな出来事もかけがえのないピースとして自分の人生に組み込んでいくのです。時間はかかるが、不可能ではない。
たしかに個別の局面で勝ちや負けはあります。しかし、それらをくぐり抜けて続く「人生の全体」を考えれば、勝ちも負けないのです。「親ガチャ」という言葉の根本にあるのは、「他の人生があり得たかもしれないのに、現実はそうはなっていない」というやるせなさです。

でも、人は「私の人生」しか生きたことがないわけです。他の誰かの人生と比較することはできません。「人生は勝ち負けなんかでは語れない」。こんな直観を実は多くの人が
共有していたから、親ガチャ論争がわき起こったのではないでしょうか。
いまの日本では、「平等な個人」という理念が風前のともしびになっています。権力者である政治家の多くが世襲だったり、お金持ちの子どもがお金持ちになったり……。
このままではいけない。どんな親から生まれても、個人の努力で未来を切り開ける社会にする必要がある。これが、親ガチャ論の不満に対する正しい答えです。もちろん私たちは、こんな社会を一朝一夕で実現するのが難しいことも知っています。ならば、みんなで協力して残酷な格差社会の現実を変えていきましょう。(聞き手 高久潤)

写真は、兵庫県神河町の砥峰高原で撮影しました。
私は、今朝、朝刊を読んでいる時、頭の中では、以下のように考えていました。
恵まれた家庭に生まれた人を羨む気持ちもわかります。
親ガチャが外れたと嘆く気持ちも分からなくはありません。
自分の境遇を嘆いてもそれで状況が変わるわけでもないです。
それは本人が悪いわけではなく、それまでの環境がそうさせたことです。
自分の得意な分野、自信の持てる分野、自信がなくても好きな分野を探して
勉学に励んだり、趣味に打ち込んだりしてほしいと願います。
ところが、「親ガチャという不平等 2」の五十嵐衣里さん(東京都議会議員・弁護士)
の寄稿された意見を読んで、そんな甘っちょろい問題ではないと、感じました。
世の中には、やる気をそがれるようなひどい環境に生まれた人もいる。
そこまで考えが及びませんでした。
すぐにこうしたらいい、という結論が出ないでいます。
この先も考え続けるべき社会の課題だと思います。
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コメントありがとうございました。
克服した人は克服したからこそ言えるのであって、
その陰には努力をしたけれども、達成できなかった人たちが
たくさんいることを忘れてはいけないと思いま。。
志を持つことは大事です。
その希望さえ持てない人がいるという現実に複雑な気持ちになります。
黙っていても誰も振り向きません。
だから当事者こそが強い自覚を持って、政府へ、世の中へと
働きかけなければいけないのではと思います。
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