丹波焼(立杭焼)の里へ
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おはようございます。
ありのまま日記、昨日からの続きです。
豊助饅頭のお土産を購入した後、車はさらに走り、陶の里というところに着きました。

ひさしさんは、首をかしげています。
「どうされましたか?」
「いや、な。今の時期、陶器祭りがあるはずなんやが、のぼりはあるけど、祭り会場が見つからん。」
「ちょっと入って、聞いてみましょうか。」
「そうするか。」

ゆーちゃんと私が黒豆畑を指さして、喜んでいた頃、
ひさしさんときよとしさんは、店主のおばちゃんに尋ねている様子です。
私も急いで陶楽館へ入ります。

ひさしさん「この時期、陶器祭りやっとりまっしゃろ。」
おばちゃん「やってるよ。今年はバラバラで各自やってるよ。」
ひさしさん「バラバラですか?大きな会場があったはずやが … 。」
おばちゃん「コロナでね。各自やることになったんよ。のぼりがあるでしょう?」
ひさしさん「そういうことか。町の中、のぼりだらけやな。」
おばちゃん「はい。」(にっこり)

せっかく来ましたので、立杭焼(丹波焼)の品を観察することにしました。
許可を得て撮影しています。

色も値段も様々なものがあって、楽しいです。

釉薬がどうだとか詳しいことは知りませんが、分からなくてもいいのです。

さすが、高価なものは雰囲気が違います。
ゆーちゃんは、触って落としでもしたらえらいことや!と本気で心配していました。

「表示価格から半額」はうれしいけれど、そこそこお値段はするものですね。
勉強になりました。私の考えが甘かったね。

欲しいのはあるけど、値段が … と考えていると、一つ気になった器が目に入ってきました。

私が購入した丹波焼です。唯一!お手頃な価格でした。
300円です。
ひさしさんは、「おい!ようやったなあ。これだけか。安いのは。」
ゆーちゃんは、噴き出していました。きよとしさんは、仕方ないなあ、と微笑んでいます。
教訓も何もないですけれど、数千円は準備しましょう。
私が考えていたお土産の予算は、千円以内でしたから、話にもなりません。
まあいいんです。丹波焼には間違いないのです。
おばちゃんは、笑っていましたけれども。

丹波焼の発祥は、平安時代末期から鎌倉時代の初めといわれています。
桃山時代までは「穴窯」が使用されていましたが、その後「登り窯」が導入され、
同時期に蹴りロクロ(日本では珍しい左回転ロクロ)の技術も取り入れ、
その伝統技術が今に伝えられています。

江戸時代前期には、茶人・小堀遠州らの指導で味わいのある茶陶が焼かれました。
江戸後期には、篠山藩の庇護のもと、直作(なおさく)、一房(いちふさ)などの名工が競い、
丹波焼の名を高めました。
穴窯時代は「小野原焼」と呼ばれていましたが、登り窯時代になってからは、
現在の呼び名「丹波焼」や丹波立杭焼(たんばたちくいやき)や立杭焼などとよばれています。

登り窯を、あちらこちらで見ることができました。
この後、温泉に向かいました。
次回へ続きます。
ありのまま日記、昨日からの続きです。
豊助饅頭のお土産を購入した後、車はさらに走り、陶の里というところに着きました。

ひさしさんは、首をかしげています。
「どうされましたか?」
「いや、な。今の時期、陶器祭りがあるはずなんやが、のぼりはあるけど、祭り会場が見つからん。」
「ちょっと入って、聞いてみましょうか。」
「そうするか。」

ゆーちゃんと私が黒豆畑を指さして、喜んでいた頃、
ひさしさんときよとしさんは、店主のおばちゃんに尋ねている様子です。
私も急いで陶楽館へ入ります。

ひさしさん「この時期、陶器祭りやっとりまっしゃろ。」
おばちゃん「やってるよ。今年はバラバラで各自やってるよ。」
ひさしさん「バラバラですか?大きな会場があったはずやが … 。」
おばちゃん「コロナでね。各自やることになったんよ。のぼりがあるでしょう?」
ひさしさん「そういうことか。町の中、のぼりだらけやな。」
おばちゃん「はい。」(にっこり)

せっかく来ましたので、立杭焼(丹波焼)の品を観察することにしました。
許可を得て撮影しています。

色も値段も様々なものがあって、楽しいです。

釉薬がどうだとか詳しいことは知りませんが、分からなくてもいいのです。

さすが、高価なものは雰囲気が違います。
ゆーちゃんは、触って落としでもしたらえらいことや!と本気で心配していました。

「表示価格から半額」はうれしいけれど、そこそこお値段はするものですね。
勉強になりました。私の考えが甘かったね。

欲しいのはあるけど、値段が … と考えていると、一つ気になった器が目に入ってきました。

私が購入した丹波焼です。唯一!お手頃な価格でした。
300円です。
ひさしさんは、「おい!ようやったなあ。これだけか。安いのは。」
ゆーちゃんは、噴き出していました。きよとしさんは、仕方ないなあ、と微笑んでいます。
教訓も何もないですけれど、数千円は準備しましょう。
私が考えていたお土産の予算は、千円以内でしたから、話にもなりません。
まあいいんです。丹波焼には間違いないのです。
おばちゃんは、笑っていましたけれども。

丹波焼の発祥は、平安時代末期から鎌倉時代の初めといわれています。
桃山時代までは「穴窯」が使用されていましたが、その後「登り窯」が導入され、
同時期に蹴りロクロ(日本では珍しい左回転ロクロ)の技術も取り入れ、
その伝統技術が今に伝えられています。

江戸時代前期には、茶人・小堀遠州らの指導で味わいのある茶陶が焼かれました。
江戸後期には、篠山藩の庇護のもと、直作(なおさく)、一房(いちふさ)などの名工が競い、
丹波焼の名を高めました。
穴窯時代は「小野原焼」と呼ばれていましたが、登り窯時代になってからは、
現在の呼び名「丹波焼」や丹波立杭焼(たんばたちくいやき)や立杭焼などとよばれています。

登り窯を、あちらこちらで見ることができました。
この後、温泉に向かいました。
次回へ続きます。
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コメントありがとうございました。
ありのまま日記ですからね。
お恥ずかしい限りです。陶器の値段の相場を知りませんでした。
言い訳すると、私は阪神大震災を経験した時に、食器棚が倒壊し
お客さん用の紅茶の皿等がすべて割れ、それ以来あまり関心を持たなくなりました。
テレビで丹波の陶器祭りを見たことがあります。
今年は、一カ所に観光客が集まることを防ぐため、
分散開催になっているのだと思います。
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