永源寺の紅葉と蒟蒻
▼
おはようございます。
私たち4人は、永源寺へ到着しました。
ひさしさんは何度も来ていますが、3人は初めてです。
永源寺は、近畿地方の中でも、紅葉の名所として知られています。

ひさしさんは言いました。
紅葉と言えば、永源寺といわれているくらい、有名や。
秋には観光客がわんさか来るところや。紅葉の頃限定やけどな。
紅葉を見ながら、参道の坂の階段を上っていくことにします。

永源寺の開山、寂室元光禅師は美作国高田村
(現岡山県勝山町)で、正応三年(1290)にお生まれになりました。
十三才の時、京都東福寺の無為昭元禅師について御勉学ののち、
鎌倉の禅興寺で約翁徳倹禅師のもとで修業されました。
禅師二十八才の時、南禅寺に寧一山国師に招かれました。
寧一山は宋国の台州生まれ、道を求めてやまない寂室は
ついに元国へ渡航、禅師三十一才の時でした。

中国で七ヵ年、天目山の中峰和尚をはじめ各地で修行、
嘉暦元年三十七才の時、長州室津へお帰りになり、
以後、吉備、甲斐、遠州等各地で雲水生活を続けられたが、
佐々木氏頼の願に依り、中国の天目山に似た当地に
康安元年(1361)永源寺を創建されました。

永源寺の由来について
康安元年(1361年)近江の国守佐々木六角氏頼公が寂室禅師を
招請して永源寺を創建されると当地には少なからぬ影響を与えました。
すなわち寂室の高弟越谷渓禅師による政所系の栽培ならびに
堀越井の開削また応仁文明の乱では、小倉実澄郷の保護により
横川・桃源・景徐ら京都の名僧がこの地に難を避けます。

五山文学史上「文教の地、近江に移る」とさえいわしめましたが、
戦国時代には二度も兵火にかかり往古の面影を失いました。
その後、寛永八年(1631年)別峰紹印続いて同二二年、
後水尾天皇の勅令による仏頂国師の一糸文守で法灯が再び輝きました。

ゆーちゃんは膝の調子が思わしくなく、階段を上がるのが苦しそうです。
私と晴夫さんは黙々と上っていました。
ひさしさんはというと、やや口をへの字に曲げて、
今年の紅葉はこの程度か。色づきがもうひとつやな。
わしが前、来たときはもっとすごかったんやけどな。と、少し残念そうです。

今年は冷え込む日があまりなかったためか、永源寺の紅葉は少し遅れているようでした。
もしくは、紅葉の最盛期を過ぎているのかもしれません。
ひさしさんは、紅葉の葉の丸まり具合を観察しては、気にしていました。

ひさしさんは思案していました。決断は早いです。
抹茶飲みたいやつおるか?ここでゆっくりするか?
3人とも首を振ります。
よし、永源寺名物の蒟蒻(こんにゃく)を食べて、次向かうぞ。

次から次へと押し寄せてくる観光客。
ゆーちゃんは、人波がすごいねとか言いながら、観光客の多さに感心しています。

永源寺のこんにゃくですが、私と晴夫さんは迷わず赤こんにゃくを選んでいました。
ところが、ひさしさんはニヤニヤしています.
赤いのはな、どこの観光地でも食べられるんや。
ここは、灰色の分厚いこんにゃくを頂くべし!(・∀・)

そんなん、早く教えてくださいよ!(・∀・;)
赤いのは、味噌の味しかせえへんやろ。
厚みのあるこんにゃくがうまいに決まっとる。あっはっは。

皆さんは、こんにゃくいもを見たことがありますか?
私は初めて見ました。
げんこつよりも大きな、立派なこんにゃくいもです。
これがあのこんにゃくになるのか … と思って見つめていると、
ほら、次行くぞ!急げ。とひさしさんが笑顔です。
臨済宗永源寺派 大本山 永源寺
https://eigenji-t.jp/
後日、続きを書きます。
- 関連記事
-
- 海鮮せんべい但馬 (2022/01/13)
- 百済寺の紅葉とお土産屋さん (2021/11/23)
- 永源寺の紅葉と蒟蒻 (2021/11/22)
- 湖東三山を目指して。 (2021/11/21)
- 近畿地方、今年の冬は寒い?暖かい? (2021/11/11)
Last Modified :

人気ブログランキングへ

FC2ブログランキングへ
コメントありがとうございました。
赤こんにゃくは有名なんですね。
私はおいしかったです。^^
[ 返信 * 編集 ]▲