論破すればよし?2
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「歴史修正」議論を単純化
倉橋耕平さん 社会学者 1982年生まれ。専門はメディア文化論。
著書に「歴史修正主義とサブカルチャー」など。
https://www.soka.ac.jp/faculty-profiles/kurahashi/

SNSなどで顕著に見られる「論破」のカルチャーは、ネットによって新たに生まれたものではありません。その兆しは1980年代末から始まった討論系のテレビ番組に見られます。討論番組では、専門家ではないコメンテーターなどが議論に参加します。視聴者は、出演者が政治家や専門家をたじろがせる様子を面白がりました。同じ時期、ディベートや説得力を重視した自己啓発本がブームになりました。こうした流れの中で「歴史をディベートする」ことがはやり、歴史修正主義運動の潮流となっていったのです。
そもそも歴史とは、史料をもとに専門家が論じるものです。ところが、ディベートの土俵にのると、研究者が歯牙にもかけない歴史観が、対抗する言説であるかのように格上げされます。長年かけて培われた先行研究の蓄積がゼロにされてしまうのです。日本でも、海外でも、歴史を否定したがる人たちが議論を好む理由は、ここにあります。

こうしたディベートの特性を利用している一人が、橋下徹さんでしょう。「〇〇か、それとも〇〇か」という二択をつくるのがとてもうまい。物事を捨象して議論のフレームを単純化します。十分な議論ができる方法ではないですが、発言を短く切り取るテレビやネットとは相性がいい。
多くの人が、この図式を無意識に受け入れがちです。学生と話していると、たとえば、「女性専用車両があるのに男性専用がないのはよくない」と言ってくる。「男性専用車両」の発想は、性被害から守るための女性専用車両とは、全く時限の異なるものです。女性専用車両の背後に存在する差別や権力の不均衡をゼロにして議論することが、平等だと勘違いしているんです。そこにはびこっているのは「偽の等価性」です。

前提をゼロにしたディベートでは、専門家は弱い立場に置かれがちです。非専門家はいまここにある一般人の感覚を重視した持論を述べ、感情に訴えることもできる。専門家が慎重に断言を避けていると、大きな声で述べた方が共感され、論破したかのように見えてしまうことがあります。
歴史の探求では、史料から分かることの限界や二項対立にはならないことがある。それなのに、歴史修正主義者が議論を単純化するのは、歴史の探求が主目的ではないからです。「日本に不都合な歴史を認めない」という目的のために論じているのです。必要なのは歴史学者の反論だけでなく、社会の人権意識の向上です。歴史を否定することと差別とは、密接な関係があります。歴史修正主義の本や歴史をネタに「論破」したい欲望、それ自体を問い直さなければなりません。(聞き手・田中聡子)

2021年10月26日須磨離宮公園内で撮影しました。
倉橋耕平さん 社会学者 1982年生まれ。専門はメディア文化論。
著書に「歴史修正主義とサブカルチャー」など。
https://www.soka.ac.jp/faculty-profiles/kurahashi/

SNSなどで顕著に見られる「論破」のカルチャーは、ネットによって新たに生まれたものではありません。その兆しは1980年代末から始まった討論系のテレビ番組に見られます。討論番組では、専門家ではないコメンテーターなどが議論に参加します。視聴者は、出演者が政治家や専門家をたじろがせる様子を面白がりました。同じ時期、ディベートや説得力を重視した自己啓発本がブームになりました。こうした流れの中で「歴史をディベートする」ことがはやり、歴史修正主義運動の潮流となっていったのです。
そもそも歴史とは、史料をもとに専門家が論じるものです。ところが、ディベートの土俵にのると、研究者が歯牙にもかけない歴史観が、対抗する言説であるかのように格上げされます。長年かけて培われた先行研究の蓄積がゼロにされてしまうのです。日本でも、海外でも、歴史を否定したがる人たちが議論を好む理由は、ここにあります。

こうしたディベートの特性を利用している一人が、橋下徹さんでしょう。「〇〇か、それとも〇〇か」という二択をつくるのがとてもうまい。物事を捨象して議論のフレームを単純化します。十分な議論ができる方法ではないですが、発言を短く切り取るテレビやネットとは相性がいい。
多くの人が、この図式を無意識に受け入れがちです。学生と話していると、たとえば、「女性専用車両があるのに男性専用がないのはよくない」と言ってくる。「男性専用車両」の発想は、性被害から守るための女性専用車両とは、全く時限の異なるものです。女性専用車両の背後に存在する差別や権力の不均衡をゼロにして議論することが、平等だと勘違いしているんです。そこにはびこっているのは「偽の等価性」です。

前提をゼロにしたディベートでは、専門家は弱い立場に置かれがちです。非専門家はいまここにある一般人の感覚を重視した持論を述べ、感情に訴えることもできる。専門家が慎重に断言を避けていると、大きな声で述べた方が共感され、論破したかのように見えてしまうことがあります。
歴史の探求では、史料から分かることの限界や二項対立にはならないことがある。それなのに、歴史修正主義者が議論を単純化するのは、歴史の探求が主目的ではないからです。「日本に不都合な歴史を認めない」という目的のために論じているのです。必要なのは歴史学者の反論だけでなく、社会の人権意識の向上です。歴史を否定することと差別とは、密接な関係があります。歴史修正主義の本や歴史をネタに「論破」したい欲望、それ自体を問い直さなければなりません。(聞き手・田中聡子)

2021年10月26日須磨離宮公園内で撮影しました。
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[Tag] * 歴史修正主義者
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