無二無三に踏み破る
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こんばんは。はばタンもすす払い、仕事納めですね。すぷーんさんの「はばタン」の笑顔にありがとう!という応援ブログもあるようです。(^-^)
神戸市内の地域情報ですが、須磨離宮公園で2006年1月5日(金)から8日(月)にかけて入園料が無料になります。6日(土)は、午前11時から新春餅つき大会とぜんざいが先着200名に振舞われます。(ただし駐車料金は必要です。)
年末、気持ちはすっかりお正月の箱根駅伝です。山梨学院大学のゆきやんさんも選手一覧の中の上から2番目に名前が載っています。テレビ観戦になりますが、応援しますよ。


徳川家康の家臣、鳥居元忠の逸話を話します。
無二無三に踏み破る
遠州奥の山合戦は名にし負う激戦でした。その中でも徳川家康麾下(きか)の宿将、鳥居元忠は先陣を受けたまわり、追いつ追われつの攻防戦に火花を散らしていました。勝敗は日没に至るまでつかず、両軍いずれからともなく兵を引き、木深い山を一つ隔てて対陣します。
やがて月のない夜が重たく頭上に下りてきます。戦の最中はさして気にならなかった飢えが徐々に陣営の士卒を襲いだしました。本隊はいつしか小荷駄隊を遠く引き離してしまいました。小荷駄隊は入り込んだ谷間に着陣している本隊を探しあぐねているらしく、いつまで経っても現れません。
元忠は急速に力の衰えを感じました。「明日の戦いはどうするのだ。飯を食わずにあの粘り強い敵と互角に渡り合えるだろうか。」飢えの上に作戦の苦悶が彼の心を締め付けます。
そのような時、彼の従卒がお椀に盛った黍飯(きびめし)を両手に抱えて走ってきました。大将のために民家を探し回り、やっと一椀の飯をゆずってもらってきたのです。まだ若い従卒の顔は己の飢えを忘れて喜びに輝いていました。
元忠はじろりとその椀へ目をやり、
元忠「小荷駄が着いたのか。」
従卒「いえ、まだでございます。」
元忠「では、この飯はわし一人の食糧だな。」
従卒が苦心して手に入れたいきさつを説明したとき、元忠はその椀をつかんで谷川へ投げ捨てました。
元忠「小荷駄が届かぬなら飢えを我慢するだけだ。もしもお前たちとともに飢死するようなことがあればそれも本望。」
士卒たちは感奮し、飢えを忘れました。戦後、元忠は述懐しました。
「我が身にのしかかる重大事は、精神を旺んにして腰を据え、無二無三に踏み破ってつき通らねば埒があかぬものである。」
鳥居元忠は三河武士の鑑(かがみ)です。伏見城の戦いでは捨石となって西軍相手に戦いました。
家康も別れるときに涙を飲んで元忠以下の武将を残したといいます。時代は違いますが、元忠の最後まで忠節を尽くした生き様は立派だと思います。
神戸市内の地域情報ですが、須磨離宮公園で2006年1月5日(金)から8日(月)にかけて入園料が無料になります。6日(土)は、午前11時から新春餅つき大会とぜんざいが先着200名に振舞われます。(ただし駐車料金は必要です。)
年末、気持ちはすっかりお正月の箱根駅伝です。山梨学院大学のゆきやんさんも選手一覧の中の上から2番目に名前が載っています。テレビ観戦になりますが、応援しますよ。


徳川家康の家臣、鳥居元忠の逸話を話します。
無二無三に踏み破る
遠州奥の山合戦は名にし負う激戦でした。その中でも徳川家康麾下(きか)の宿将、鳥居元忠は先陣を受けたまわり、追いつ追われつの攻防戦に火花を散らしていました。勝敗は日没に至るまでつかず、両軍いずれからともなく兵を引き、木深い山を一つ隔てて対陣します。
やがて月のない夜が重たく頭上に下りてきます。戦の最中はさして気にならなかった飢えが徐々に陣営の士卒を襲いだしました。本隊はいつしか小荷駄隊を遠く引き離してしまいました。小荷駄隊は入り込んだ谷間に着陣している本隊を探しあぐねているらしく、いつまで経っても現れません。
元忠は急速に力の衰えを感じました。「明日の戦いはどうするのだ。飯を食わずにあの粘り強い敵と互角に渡り合えるだろうか。」飢えの上に作戦の苦悶が彼の心を締め付けます。
そのような時、彼の従卒がお椀に盛った黍飯(きびめし)を両手に抱えて走ってきました。大将のために民家を探し回り、やっと一椀の飯をゆずってもらってきたのです。まだ若い従卒の顔は己の飢えを忘れて喜びに輝いていました。
元忠はじろりとその椀へ目をやり、
元忠「小荷駄が着いたのか。」
従卒「いえ、まだでございます。」
元忠「では、この飯はわし一人の食糧だな。」
従卒が苦心して手に入れたいきさつを説明したとき、元忠はその椀をつかんで谷川へ投げ捨てました。
元忠「小荷駄が届かぬなら飢えを我慢するだけだ。もしもお前たちとともに飢死するようなことがあればそれも本望。」
士卒たちは感奮し、飢えを忘れました。戦後、元忠は述懐しました。
「我が身にのしかかる重大事は、精神を旺んにして腰を据え、無二無三に踏み破ってつき通らねば埒があかぬものである。」
鳥居元忠は三河武士の鑑(かがみ)です。伏見城の戦いでは捨石となって西軍相手に戦いました。
家康も別れるときに涙を飲んで元忠以下の武将を残したといいます。時代は違いますが、元忠の最後まで忠節を尽くした生き様は立派だと思います。
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