大中遺跡への道
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大中遺跡への行き方を書きます。

JR舞子駅より普通列車に乗って土山駅に向かいました。

明石駅のホームからの様子です。明石城がきれいです。

明石で乗り換えた後続の普通列車の車内の様子です。
網干行きと間違えうっかり乗ってしまい、西明石駅が終点なのでホームで待ちました。
シルバーウイーク中は西に行った人は少なかったのではと感じます。

土山駅の改札を出たところです。

改札口を出て西へ(左へ)歩くと案内板がわかりやすく設置されています。目的地まで1.1kmです。

2年前に新しくできた兵庫県立考古博物館も同じ方向です。

「であいの道」ですが、一人てくてくと歩きます。特に出会いはありません。

喜瀬川に架かる橋を渡ると、大中遺跡公園の入り口に着きます。

この公園が思いのほか広くて。甲子園球場よりも広いそうです。

播磨大中古代の村 史跡大中(おおなか)遺跡の説明をします。
大中遺跡は、昭和37年6月に播磨中学校の生徒3人によって発見されました。その年の12月から約10年の歳月をかけて発掘調査が行われ、弥生時代後期を中心とした時代の集落遺跡であることが判りました。また、この遺跡が最も栄えた時代は、卑弥呼が活躍した“邪馬台国”の時代にあたるということも明らかになりました。そして、発掘された円形や方形、長方形、六角形など、さまざまな形をした竪穴住居跡等の遺構や、当時東アジアの先進国である中国から入手した青銅の鏡等の出土遺物から、学術的にも重要な遺跡として高く評価されています。
他にも、旧石器時代や縄文時代の石器や弥生時代前期の土器等が出土しているほか、古墳時代や平安・鎌倉時代の遺構も発掘されており、長期間にわたる人々の足跡が残されています。
遺跡は、周囲をため池や湿地・河川に囲まれた、海抜15m前後のなだらかな台地上にあり、竪穴式住居跡等のある居住域の面積は約44,000平方メートル以上にも及んでいます。これまでに全体の5分の1足らずの面積を発掘しただけで、すでに80棟以上の竪穴住居跡が見つかっています。ただ、当時の墓地や水田跡のある場所はまだ見つかっていません。
この遺跡は、その重要性から、昭和42年6月に国の史跡に指定され、将来にわたって保存されることになりました。兵庫県教育委員会では、昭和49年4月に、歴史学習や県民のいこいの場として活用するために「播磨大中古代の村」を一部開園し、10数年の歳月をかけて史跡公園として整備しました。また、平成19年10月には、隣接地に兵庫県立考古学博物館が開館し、古代体験や県民の交流の場として一体的な活用を進めています。
平成21年3月 兵庫県立考古学博物館
資料館と博物館も隣接した敷地内にあります。
出土したものを眺めていると、楽しくて時の経つのを忘れますよ。(^-^)

JR舞子駅より普通列車に乗って土山駅に向かいました。

明石駅のホームからの様子です。明石城がきれいです。

明石で乗り換えた後続の普通列車の車内の様子です。
網干行きと間違えうっかり乗ってしまい、西明石駅が終点なのでホームで待ちました。
シルバーウイーク中は西に行った人は少なかったのではと感じます。

土山駅の改札を出たところです。

改札口を出て西へ(左へ)歩くと案内板がわかりやすく設置されています。目的地まで1.1kmです。

2年前に新しくできた兵庫県立考古博物館も同じ方向です。

「であいの道」ですが、一人てくてくと歩きます。特に出会いはありません。

喜瀬川に架かる橋を渡ると、大中遺跡公園の入り口に着きます。

この公園が思いのほか広くて。甲子園球場よりも広いそうです。

播磨大中古代の村 史跡大中(おおなか)遺跡の説明をします。
大中遺跡は、昭和37年6月に播磨中学校の生徒3人によって発見されました。その年の12月から約10年の歳月をかけて発掘調査が行われ、弥生時代後期を中心とした時代の集落遺跡であることが判りました。また、この遺跡が最も栄えた時代は、卑弥呼が活躍した“邪馬台国”の時代にあたるということも明らかになりました。そして、発掘された円形や方形、長方形、六角形など、さまざまな形をした竪穴住居跡等の遺構や、当時東アジアの先進国である中国から入手した青銅の鏡等の出土遺物から、学術的にも重要な遺跡として高く評価されています。
他にも、旧石器時代や縄文時代の石器や弥生時代前期の土器等が出土しているほか、古墳時代や平安・鎌倉時代の遺構も発掘されており、長期間にわたる人々の足跡が残されています。
遺跡は、周囲をため池や湿地・河川に囲まれた、海抜15m前後のなだらかな台地上にあり、竪穴式住居跡等のある居住域の面積は約44,000平方メートル以上にも及んでいます。これまでに全体の5分の1足らずの面積を発掘しただけで、すでに80棟以上の竪穴住居跡が見つかっています。ただ、当時の墓地や水田跡のある場所はまだ見つかっていません。
この遺跡は、その重要性から、昭和42年6月に国の史跡に指定され、将来にわたって保存されることになりました。兵庫県教育委員会では、昭和49年4月に、歴史学習や県民のいこいの場として活用するために「播磨大中古代の村」を一部開園し、10数年の歳月をかけて史跡公園として整備しました。また、平成19年10月には、隣接地に兵庫県立考古学博物館が開館し、古代体験や県民の交流の場として一体的な活用を進めています。
平成21年3月 兵庫県立考古学博物館
資料館と博物館も隣接した敷地内にあります。
出土したものを眺めていると、楽しくて時の経つのを忘れますよ。(^-^)
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