姫路城 天守閣
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また前回の続きです。最近お城の記事を続けていますが、
NHKさんの歴史秘話ヒストリアの再放送があるからね。
参考になるといいなあ。(・∀・)
姫路城 美と強運の400年物語 ~巨大迷宮の秘密を探る旅~ の再放送は
9月30日(水)16:05~16:48です。
さて。天守閣へ入ります。城内は薄暗いです。
姫路城の大柱 です。


東大柱 大柱
東・西の大柱は地階から最上階の6階まで全長24.6mあります。
東大柱 … 樅(もみ)の一本材でしたが、根元が腐っていましたので、昭和の解体修理(昭和31年~39年)のとき檜(ひのき)材で根継ぎをし、補強されました。
西大柱 … 3階から上部は栂(とが)材、下部は樅(もみ)材を用いて継がれていましたが、芯が腐っていましたので、昭和の解体修理のとき、新たに檜(ひのき)材を2本用い、以前と同様に3階で継ぎ、鉄輪で補強されました。
上部の檜 兵庫県神崎郡市川町笠形神社地檜 樹齢 約670年
下部の檜 岐阜県恵那郡木曾谷国有林木曾檜 樹齢 約780年


姫路城は、昭和31年から39年にかけて天守閣の解体修理を行っています。建物の全部を一旦解体した後、再度元の形に組み直すという大工事で、「姫路城昭和の大修理」と呼んでいます。
姫路城の天守閣は、地上六階、地下一階の七階建てで、総重量は約5700t。木造としては世界でも他に類を見ない大規模高層建築で、その中心部を高さ24.6mの東西2本の大柱が貫いています。東西2本の大柱のうち東大柱は1本の通し柱、西大柱は下から約15mの位置で上下2本継ぎになっていますが、大修理にあたって、東大柱は従来のものが根元部分を補強して再利用され、傷みの激しかった西大柱は新しいものに取り替えられました。
この西大柱に使用された材は、関係者が日本中の山林を1年間探しまわってようやく見つけた檜の巨木で、下部は木曾の国有林から伐り出した樹齢厄780年のもの、上部には姫路城の北約25km、神崎郡笠形神社の境内にあった御神木で樹齢約670年のものを、以前と同じように三階部分でつなぎ合わせています。


行軍横図(鉄砲洲警衛絵巻)1854(嘉永7)年 狩野永秀 筆
嘉永6年、浦賀沖(神奈川県横須賀市)にペリー艦隊が来航しました。幕府は諸藩に、江戸湾沿岸の防備を命じました。姫路藩は、鉄砲洲と佃島(東京都中央区)で警備にあたりました。この図は、警備に向かう酒井家中の隊列を描いたもので、携行した武器や兵営での炊事風景も描かれています。
武具掛です。


鉄砲や槍などの武器類を掛けていました。 ピンボケしてしまいました。


釘隠しです。急な階段を登っていきます。


天守閣の一番上の階に来ました。周りは観光客でいっぱいでした。
姫路長壁大神 播磨富姫神 とあります。この神社について私はよく分からなかったです。
詳しくは長壁神社を解説しているのりちゃんずのHPを訪れてみてください。
姫路城の軸組構造模型です。説明にはこうありました。

この模型は、大天守の解体修理工事にあたり実物の20分の1で製作されました。史上初めての解体修理だったので、構造体のもつ技術的特徴、あるいは構造上の欠陥や細部の処理方法をとらえた上で工事を行う必要がありました。また、建物を末永く維持できるように、破損・腐朽部分の取り替えや、各部材の補強方法の検討も不可欠で、さまざまな問題を明らかにするための検討用に製作された模型なのです。


天守閣からの景色です。天守閣は高さは31.5mあります。姫山の45.6m、天守閣ののっている石垣の14.8mを合わせると、約92mの高さになります。姫路の街も一望できて風を感じ気持ち良かったです。
NHKさんの歴史秘話ヒストリアの再放送があるからね。
参考になるといいなあ。(・∀・)
姫路城 美と強運の400年物語 ~巨大迷宮の秘密を探る旅~ の再放送は
9月30日(水)16:05~16:48です。
さて。天守閣へ入ります。城内は薄暗いです。
姫路城の大柱 です。


東大柱 大柱
東・西の大柱は地階から最上階の6階まで全長24.6mあります。
東大柱 … 樅(もみ)の一本材でしたが、根元が腐っていましたので、昭和の解体修理(昭和31年~39年)のとき檜(ひのき)材で根継ぎをし、補強されました。
西大柱 … 3階から上部は栂(とが)材、下部は樅(もみ)材を用いて継がれていましたが、芯が腐っていましたので、昭和の解体修理のとき、新たに檜(ひのき)材を2本用い、以前と同様に3階で継ぎ、鉄輪で補強されました。
上部の檜 兵庫県神崎郡市川町笠形神社地檜 樹齢 約670年
下部の檜 岐阜県恵那郡木曾谷国有林木曾檜 樹齢 約780年


姫路城は、昭和31年から39年にかけて天守閣の解体修理を行っています。建物の全部を一旦解体した後、再度元の形に組み直すという大工事で、「姫路城昭和の大修理」と呼んでいます。
姫路城の天守閣は、地上六階、地下一階の七階建てで、総重量は約5700t。木造としては世界でも他に類を見ない大規模高層建築で、その中心部を高さ24.6mの東西2本の大柱が貫いています。東西2本の大柱のうち東大柱は1本の通し柱、西大柱は下から約15mの位置で上下2本継ぎになっていますが、大修理にあたって、東大柱は従来のものが根元部分を補強して再利用され、傷みの激しかった西大柱は新しいものに取り替えられました。
この西大柱に使用された材は、関係者が日本中の山林を1年間探しまわってようやく見つけた檜の巨木で、下部は木曾の国有林から伐り出した樹齢厄780年のもの、上部には姫路城の北約25km、神崎郡笠形神社の境内にあった御神木で樹齢約670年のものを、以前と同じように三階部分でつなぎ合わせています。


行軍横図(鉄砲洲警衛絵巻)1854(嘉永7)年 狩野永秀 筆
嘉永6年、浦賀沖(神奈川県横須賀市)にペリー艦隊が来航しました。幕府は諸藩に、江戸湾沿岸の防備を命じました。姫路藩は、鉄砲洲と佃島(東京都中央区)で警備にあたりました。この図は、警備に向かう酒井家中の隊列を描いたもので、携行した武器や兵営での炊事風景も描かれています。
武具掛です。


鉄砲や槍などの武器類を掛けていました。 ピンボケしてしまいました。


釘隠しです。急な階段を登っていきます。


天守閣の一番上の階に来ました。周りは観光客でいっぱいでした。
姫路長壁大神 播磨富姫神 とあります。この神社について私はよく分からなかったです。
詳しくは長壁神社を解説しているのりちゃんずのHPを訪れてみてください。
姫路城の軸組構造模型です。説明にはこうありました。

この模型は、大天守の解体修理工事にあたり実物の20分の1で製作されました。史上初めての解体修理だったので、構造体のもつ技術的特徴、あるいは構造上の欠陥や細部の処理方法をとらえた上で工事を行う必要がありました。また、建物を末永く維持できるように、破損・腐朽部分の取り替えや、各部材の補強方法の検討も不可欠で、さまざまな問題を明らかにするための検討用に製作された模型なのです。


天守閣からの景色です。天守閣は高さは31.5mあります。姫山の45.6m、天守閣ののっている石垣の14.8mを合わせると、約92mの高さになります。姫路の街も一望できて風を感じ気持ち良かったです。
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